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先生との20年 記憶に残った学習①
新聞紙
小学校低学年のとき、新聞紙と白いのりで人の形を作った。自分よりも大きかったその新聞で出来た人が原人だったことは、忘れてしまっていた。でも、あの作ったときの、手の感覚とのりが乾くと新聞紙がすごく固くなった驚きを今でも覚えている。ただの、新聞紙から丈夫な人が生まれた。

メリーゴーランド  
 小学生のとき見開き4ページの飛び出す絵本を作った。ただの飛び出す絵本ではなく、表紙と背表紙くっつけると円柱のようになり、その中に2階建て(全部で8部屋)の家を作った。クローゼットやお風呂など細かいところまでこだわった記憶がある。難しいのは階段だった。2階の床の穴を開ける位置を決め、切込みを入れるときはどきどきした。また、折り曲げて3次元を2次元にすることは出来たとしても、本のページを開くと自動的に2次元から、3次元にはなかなか出来なかった。
 先生が持ってきてくださった実際の外国の飛び出す絵本は、私にはメリーゴーランドのようにも、お城のようにも見えた。それが、閉じると一冊の本になる。最後に表紙と背表紙が赤いリボンで結ばれていた。あの、あっという間に、夢の世界が広がる本に少しでも近づけようと夢中になった。

ニュートン  
 先生のお教室に何台かのコンピューターがあり、小学校2年生の頃、はじめてコンピューターで遊んだ。コンピューターにはそれぞれ名前がついていて、私が覚えているのは”ニュートン”。そのニュートンで立体図などを作成していた。コンピューターに触れる喜びは、今でも忘れられないくらい嬉しかった。

ねんどの秘密  
 先生の粘土はとても気持ちがいい。その秘密はずーっと知らなかった。この間はじめて先生が小麦粉と葡萄の種の油でその日の朝に粘土を作っていることを知った。先生が「この粘土だったら子どもが食べても平気でしょう。あなたたちがお母さんになったときは、こうやって遊ぶのよ」と教えてくださった。ヨーグルトのカップに手作りの粘土、これでバスタブが作れるともおっしゃっていた。

教科書レプリカ  
 小学校のとき、理科と社会の教科書を丸っきり全部写すということをやった。写真も全部、完全に写す。1単元かとにかく全部写したとき、先生が「やればできる」と教えてくださった。私は電気回線の絵を何度も描いたことがすごく記憶に残っている。とくに人の手が入っている写真のときは難しかった。

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