先生との20年 記憶に残った学習⑫
マナー教室
小学校1年生か2年生の頃マナー教室があった。じゃがいもなどを重たい銀のフォークとナイフで食べた。その時の感覚とナプキンは三角に折ることだけは今でもまだ覚えている。
着物作り
小学校4年生か5年生のとき、お母さんの着物を作った。水引草とほたるが描かれている着物。彩は、たくさんの花火が描かれたお父さんの着物を作った。
着物作りは染色から始まる。先生が、見本として、何種類かの染色を見せてくれた。一番驚いたのは、ナスの皮。きれいな淡いブルーだった。それから、模様を作るのも、身近にあるものを活用した。私は、蛍はどうすればいいか悩んでいると、先生が「お家に、フィルムケースはありますか?あれではさんでおけばきれいに蛍の光の円ができますよ」と教えてくれた。着物を作り上げたときの達成感、世界にひとつの着物は、自分の大きな自信になった。この、着物作りがあったから、裁縫、特に運針縫いの早さは私の自慢。
糸通し
針に糸をはじめて通したのはいつだったか、確実な記憶はないけれど、小学校に入るか入らないかの頃だったと思う。この間、3歳の子が針に糸を通し、私が昔作った等身大のお人形さんとまったく同じように作っていた。そのとき、糸をなめてみたり、持つ場所を短くしたり、長くしてみたりしていたのを見て、昔の感覚を思い出した。大原先生は、針に糸を通せると、この感覚が全てに通じると言われる。
お味噌作り
小学校低学年の頃、特別クラスでみそ作りをした。大豆を潰す道具は5・6種類あった。私が選んだのはミキサー。彩が選んだ道具はすり鉢。大原先生がこの道具の選択を見て、「おもしろいわねー。」と言っていたことを覚えている。このときから、私と彩は双子だけれど、全然ちがう性格が作られていることに改めて気づいた。確かに、ミキサーで作った私のお味噌と、彩のすり鉢で作ったお味噌は食べ比べて見ると違う味がした。でもやっぱり、自分で作ったお味噌は特別な味がした。
音楽と絵のクラスの思い出
小学校4年生ごろ、音楽を聞きながら絵を描くクラスがあった。何の曲かは忘れてしまったけれど、雪の中、道の真ん中に落ちているボロボロの靴を街灯が照らしている絵を描いた。先生はその絵を見て、「すごく、わかる。それでこのまわりの家はお金持ちの家なのよね。」などと言われた。先生と同じような情景が浮かんでいたことがうれしかった。
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