大原敬子(けいこ)公式ホームページ


心の叫び③ 表裏があった私  小学校5年生の頃のある日のクラスで、先生が教室の外にいる間に口笛を吹いていた。気づいたら先生が教室に入ってきていて、「今、口笛を吹いていたのは誰ですか。」と言われたとき、ドキッっとした。小学生の頃の私は、いい子を演じてた。だから、先生のいる時といない時ではちがっていた。そのとき、先生は口笛を吹いてはいけない意味を教えてくださったけれど、私の頭の中は自分のもう一つの姿を先生に見られた気がして、真っ白になった。

感情のコントロールができなかった私  自分の感情が抑えきれないとき、先生はよく、「紙にかいてごらん」と言う。それから、その紙をとっておくときと、他の方法から選択するときがある。
 確か、高校生の頃、「もう、こんな思いはしたくない」というほどくやしかったことがあった。この時は、細かく細かくちぎってトイレに流した。それから、絶対に人には見られたくない自分、その自分からはもう卒業したと思いたかったたときは、燃やしてトイレに流した。これは大学2年生のとき。最後のひとつは小学生のときお母さんが一緒に燃やしてくれたこと、その灰を土に埋めたことは覚えているけれど、そのときの感情は忘れてしまった。でも、先生が教えてくれたこの方法は、心がきれいに整理される気がして、必ず前向きになれる。

続けること  私は、大学3年生になるまで、何かをひとつでも続けたことがなかった。とにかく、何をやっても続かなかった。最初の勢いだけでいつも終わってしまう。先生は、「10分でも15分でも毎日続けること、それが財産になる」とよく言っていた。その意味が、こうして今、先生に何度も背中を押してもらって、はじめて続けられるようになって、少しわかるような気がする。
 私はよく、感情のコントロールが出来なかった。だからすごく調子がいいときと、何にもしたくなくなるときの差が激しかった。でも、“しなければならない”ことがあれば、自然と何もしないことはなくなる。行動をするきっかけさえあれば意識が変わって、他の事も少しできるようになった。その、小さなことで1日のリズムができた。今では、「今日はねむたいなあ」と思う日も、このリズムのある生活を絶対に失いたくないと思うから、続けられる。

片づけられなかった私  高校3年生の頃、私は片づけが出来なかった。片付けようと思うと、まず、模様替えからはじめたり、タンスの中を細かく整理したり、途中で昔の写真を見つけてずーっと見ていたり・・・。夕方になる頃には、かえって部屋が汚くなってしまったりすることがあった。だからいつも、脱ぎっぱなしの洋服、ペットボトルのごみ、教科書類が散乱していて、まさに、足の踏み場がなかった。
 そんな私に先生は片づける方法を教えてくださった。今日は、帰ったらまず洋服を袋の中に入れるだけ。次の日は、教科書類をダンボールに入れるだけ。あとはごみとごみ以外を分別して袋に入れる。それから、少しずつ袋の中のものを片づけていけばいい。確かに、3日もしないうちに、部屋の中は嘘のようにきれいになった。袋も1日ひとつ片づけると意識していたが、思った以上に簡単に思えて一気に片づけてしまった。お部屋が片付くと心もすっきりとした気がした。
私と大原先生の思いで日記私と大原先生の思いで日記
左の写真のような状況だった部屋が今では、右の写真ような部屋を維持しています。

家出をした日  大学2年生から3年生になるときの春休み。私は家出をした。家出をした日の朝、大原先生に「今から家出をする」という留守電を入れた。
 それから私は、大原先生にいくときにも、大学に行くときにも一番関係ない電車に乗った。その終点まで行ったところで、私は昔から空港が好きだったから、そうだ、空港に行こうと決めた。成田までの電車を乗り継いでいると、永田町を通過した。途中駅に、他にも神保町(大原先生のところの昔から憧れだったお兄さんの名前が神保君)などがあるので、自分で決めた家出を実行するのに、複雑な気持ちになった。成田に近づいた頃、途中で電車が橋を渡った。そこには川が流れていて、きれいに水が輝いていた。以前、大原先生に、水がダイヤモンドのように輝いていた話をしたとき、じーっと聞いてくださって、同じように共感してくださったこと、心がすごく豊かだと言ってくださったことを思い出した。駅を通ったとき、川を見たとき、心がすごく動揺したけれど、嫌な自分が動揺した自分をないものにした。
 空港は地下鉄から行くと私が思っていた場所とは違って見えた。何で空港が好きだったのか疑うくらい。まず、空港に入るために、審査があって私はドキドキした。パスポートはないし、変に思われないかと不安だった。「今日は、待ち合わせだから、パスポートはないんですけれど、入れますか?」と警備員さんにいうと、身分証明書があれば入れる、と言われた。大学名の入ったIDカードを出すのに少し抵抗があったけれど(大学に連絡が行くんじゃないかと変なことを考えた)とりあえず、中に入ることができた。
 空港に着くと何にもやることがないことに気づいた。とりあえず、トイレに行くと鏡にうつった自分の顔が嫌で、そうだ、美容室に行こうと思った。飛行場のパンフレットを見て、美容室を探すと上のほうの階にあったので、そこに向かった。そこは、とこやさんのような場所で入るのにすごく勇気が必要で5分から10分付近をうろうろしたけれど、思い切って中に入った。すると、そこのお店のおじさんが、もし、時間に余裕があるならば、女の人用は、(確か)第二ターミナルの方にあると教えてくれた。そして、第二ターミナルの美容室に連絡をしてくれた。
 それから、第二ターミナルにバスで向かうとそこは、さっきまでいたところよりももっと、想像していた空港とはかけ離れた場所に見えた。美容室に向かうとこれもまた、さっきよりもさらに入りずらい雰囲気で私は困ったけれど、連絡をしてもらったせいで行かないわけにはいかなかった。こんなことになるなら、最初から美容院に行けばよかったとさえ少し思った。そこにいた、美容師のおばさんは、よく私に話しかけてくれた。「これから、どこに行くんですかー?」などとたくさん聞くので、作り話の連続だった。
 私は、家出をすると決めたとき、自分が持っている全てのお金(3万円弱)とヒルティの眠れぬ夜のために、それから精神分析論(上下)と、自由からの逃走をカバンに入れていた。いつも、絶対に読まない本をこんなときに、とっさに持ってきていた。きっとどこかで先生と繋がってる気がしたんだと思う。美容室ではその眠れぬ夜のためにを読もうとしたけれど、2ページもいかないうちに、現実逃避をしたいのか眠たくってしょうがなくなった。
 美容室を出るともういよいよやることがなかった。いつも、晴れた日に散歩をすると私は元気になることが多かったので、外に出たいと思った。成田には近くに成田山あると思ったので、歩いていこうと決めた。警備員さんに、成田山は右か左かを訪ねると、右にずーっとまっすぐと教えてくれた。警備員さんは「すごく遠いよ。大丈夫かい?」と心配してくれた。私には遠いほうが都合がよかった。最初は全然、大丈夫と思って、右のほうに向かって歩いていくと、10分もしないうちに問題があった。飛行場付近は歩行者が歩く用の道なんてなかった。だから、車道のようなところを歩かなければならない。先に進もうとすると、また守衛さんのような人が立っていて、「どうして歩いているのか?」と聞かれるのが怖かった。だから、引き返えそうと思ったけれど、さっきあった警備員さんに会うのは恥ずかしかった。もう、自分の理想とはすべてが違っていた。違うルートで帰ろうとしたら、そこはもう、大型トラックが何台も何台も行き来していて、どこかの大きな工場の中に迷い込んだようだった。その中をどうにか、できるだけ人に会わないように、飛行場に帰った。
 もう、飛行場からは出たくてしょうがなくなった。そこで、山梨の方に行こうと思った。というのも、飛行場も夜は閉まると言うことを美容室の人に聞いて、はじめて知った私は寝る場所を探さなければならなかった。私は、なんとなく都会が怖い気がして、山梨なら知っている公園があると考えた。
 そこで、電車に乗り、東京駅に向かった。その電車の中で、いよいよ山梨に行ってしまうと思ったら、携帯電話を見たくなった。(それまでは嫌な自分が一度も見ないようにしていた。)助けてほしかったのかもしれない。すると、大原先生からのたくさんの不在と、友達の携帯から先生よりと送られたメールが3件来ていた。私は、ほっとしたのか、涙がとまらなかった。もともと心の底では本当の本当には、いなくなろうとは思っていなかったのに、そんな自分を見ないようにしていたから、何をやっても地に足がつかない感覚があった。
 東京駅について、先生に電話をすると、先生はあまり普段と変わらない声で、今どこにいるのかということと、国会図書館にみんながいるから、そこへ行きなさいというようなことを言われた。私は、みんなに会って何といえばいいのか分からないこともあって、6時に行ってもいいですか?と聞くと、いいですよ。と言われた。その後、いつもなら、皇居のお堀の側のベンチから、水を眺めていたりするのに、ぼーっとすることによって考えるのが少し怖かった。だから、どこの駅かは、はっきりとは、忘れてしまったけれど(たぶん桜田門)地下鉄に乗り、そこから、少しはなれた駅に行っては永田町に帰り、また乗っては永田町に帰りと、時間を潰した。
 ここまで来ても、本当の素直な自分にはならず、教室に入ると、一番近くの机に座って授業が終わるまでじーっと黙っていた。最後に先生に話しに行くと、先生はすごく怒ったというか、なんて表現すればいいかわからない。とにかく、とんでもないことをしてしまったということだけは分かった。家に帰って彩に話を聞くと、家出を考えたその感覚の人に先生の様子を伝えても分かるわけないというようなことを言われた。それから、数日間経っても私は本当の自分を見ようとはしなかった。でも、今になってようやく少しずつ分かってきたことがある。先生に、家出をすると留守電に入れてしまったとしても、電話に出ること。今日は、家出するけれど夜には必ず家に帰る。と言うことが、すごく大切なことだった。

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